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海外行政視察報告書 |
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| 千葉市議会海外行政視察団 | ||||||||||||||||||
| は じ め に 団 長 向 後 一 夫 平成16年11月1日から11月12日までの12日間の日程で実施した平成16年度の海外行政視察は、はじめに姉妹都市提携35周年のノースバンクーバーを表敬訪問するとともに、アメリカ合衆国のサンタモニカ、バーバンク、ボストン、ニューヨークの4都市を視察しました。 今年度の視察団の視察テーマは、「情報政策」、「環境行政」、「福祉行政」、「消防・保健行政」でありましたが、現在、5か年計画において鶴岡市長が緊急性や重要性の観点から、優先的に取り組んでいる重点7分野のうち、「情報化の推進」については、全米初の行政オンラインシステムを構築したサンタモニカ市で、PENシステムについて伺いました。 また、「環境問題への対応」については、バーバンク市においてリサイクルセンターの視察とともに、廃棄物の実態や資源再利用について伺いました。この施設の運営方法は第3セクター方式で行われていましたが、国の状況が違う点はありますが行政・民間ともに良い運営形態にあり、今後のPFI事業や指定管理者制度の参考にもなるものと感じました。 前回の海外行政視察でもアメリカを訪れましたが、ボストンは始めての都市であり、ヨーロッパからの初期の移民がつくった町であり、アメリカ独立の舞台となった歴史的な町で、典型的なアメリカの都市とは違いヨーロッパの町並みを思わせる都市でありました。 このボストン市では、マサチューセッツ州障害者局においてアメリカ障害者法とその実情について視察を行うとともに、ボストン近郊のヘレン・ケラーが卒業したことでも有名なウォータータウンのパーキンス盲学校を訪れ、視覚障害者の教育方法や、疑似体験することなどもできました。 そして、最終地でありますニューヨーク市では、以前にも訪れたワールドトレードセンターが跡形もなく、今ではグランドゼロと称される場所となり、改めて9.11事件の悲惨さを感じました。このニューヨーク市では、緊急医療の取り組みを視察するため、ニューヨーク大学附属病院のベルビュー病院を訪れ、9.11事件・ニューヨーク大停電の際の緊急体制について伺いました。 また、ニューヨーク市消防局においてはニコラス消防総監を始め幹部の方に対応いただき、9.11事件の状況及び教訓を基にした改善策等について伺い、救急救命体制の参考とすべき点が多くありました。 今回の視察テーマは、現在本市においても課題のテーマであったとともに、意義ある視察であったと思っております。また、本視察が有意義にかつ無事に遂行できましたのは、視察先の暖かい歓迎とご対応をいただいた関係者の方々及び、参加された団員の皆様のご支援・ご協力のお陰と心から感謝申し上げます。 視 察 期 間 平成16年11月1日(月) 〜 平成16年11月12日(金) 12日間 視察テーマ・都市名・視察先
視察団員及び随員名 (団員は議席順) 職 名 氏 名 会 派 名 団 長 向 後 一 夫 自由民主党千葉市議会議員団 副団長 内 藤 靖 夫 千葉市議会公明党 団 員 小 川 智 之 自由民主党千葉市議会議員団 団 員 上村井 真知子 千葉市議会公明党 団 員 三 須 和 夫 自由民主党千葉市議会議員団 団 員 森 茂 樹 自由民主党千葉市議会議員団 団 員 米 持 克 彦 自由民主党千葉市議会議員団 団 員 石 橋 毅 自由民主党千葉市議会議員団 随 員 小 川 直 哉 議会事務局 随 員 青 葉 正 人 議会事務局 視 察 等 の 内 容 1 姉妹都市ノースバンクーバー市表敬訪問 (1)表敬訪問日程 ・市長、市議会議員、市幹部その他 ・歓迎挨拶 バーバラ・シャープ市長 ・市議会議員及び市幹部紹介 バーバラ・シャープ市長 ボブ・ヘイワード議員 クレイグ・キーティング議員 バーバラ・ペロー議員 ケン・トルスタム シティマネジャー 他 ・訪問挨拶 向後 一夫団長 ・記念品贈呈 向後 一夫団長、森 茂樹議長 ・千葉市議会海外行政視察団員自己紹介 ・千葉市側から議員及び市幹部へ記念品贈呈 内藤 靖夫副団長 ・ノースバンクーバー市からの記念品贈呈 バーバラ・シャープ市長 ・訪問者名簿への記帳 ・時計塔前にて記念撮影 ・市長執務室、議場等見学 ・歓迎夕食会 ノースバンクーバー市:市長、市議会議員、市幹部、ライオンズクラブ代表等 千葉市議会海外行政視察団員 (2)表敬訪問の概要 千葉市議会海外行政視察団がノースバンクーバー市を訪れたのは、今回で3回目であるが、姉妹都市提携35年と記念すべき年であり、また、今回の訪問に先立って10月には、ノースバンクーバー市の市長、議員が本市を訪問されましたので、その答礼の意味も含めた表敬訪問でした。 始めに、シャープ市長より「市そして市議会、市民全員に代わり、千葉市からお越しになったご来賓の皆様を心から歓迎します。今日、視察された千葉ガーデンは、私たちの誇りとなってきました。ブリティッシュ・コロンビア大学のスタッフの協力のもとに、私たちの園芸スタッフは日本庭園の神髄を再現することに励んでいます。建設されて間もないジョンブレイエストコミュニティセンターを視察され、この地区が一つのコミュニティとして、発展していっていることを目の当たりにしていただき、楽しんでいただけたと思います。この地区の住民、そして将来住む人々にとって、この施設が、地区において大きな役割を果たしていくことと思っています。また、雪は冬の訪れと冬のスポーツシーズンの到来のしるしでもあります。スキーヤーやスノーボーダー、そして山を訪れる人々にいろいろな恩恵を与えてくれるだけでなく、全バンクーバー地域にとっても重要な経済的動力源ともなっています。 当地における2010年のオリンピックは、1998年の長野オリンピックの時と同様、バンクーバー全域の開催となるため、長野オリンピックに習い準備していきたいと思います。 今晩の夕食会の際には、千葉市を訪れた時の思い出話や、両市が抱える課題などについて、話し合えることを楽しみにしています。最後に、本市訪問後はアメリカ各都市を訪問されると伺っています。皆様くれぐれもお体にお気を付けください。」との歓迎挨拶を受けた。 これに対して、向後団長より「ただ今は、シャープ市長さんより、ご丁重な歓迎のご挨拶をいただき、誠にありがとうございました。千葉市議会海外行政視察団の貴市への訪問は、3回目となりますが、今回も私たち視察団を公私とも大変お忙しい中、種々特別なご配慮を賜り、誠にありがたく、厚く御礼申し上げます。更には、10月には、貴市からも本市に訪問をいただき、交流が図られたことは大変喜ばしい次第であります。 さて、貴市と千葉市は、1970年の1月に市民間の相互理解と友情を深めることを目的に姉妹都市を提携しました。以来、青少年の相互交流や市民親善訪問団のなどの交流を通して友好関係を促進し、本年は、35年という記念すべき年を迎えたわけであります。 これもひとえに、貴市民はもとより、市長さん並びに議員皆様の温かいご理解とご尽力の賜物であると、心から感謝いたます。 千葉市議会としましても、今後とも姉妹友好都市との積極的な国際交流を図り、都市間交流、そして市民間交流を推進して参りたく、なお一層のご親交をお願いします。」との答礼の挨拶が行われた。 その後開催された歓迎夕食会は、シャープ市長を始めノースバンクーバー市側の出席者と、終始和やかな雰囲気の中で開催され、温かい歓迎を受けるとともに活発な意見交換ができた。 今後ともノースバンクーバー市との各分野における友好関係を推進していくべきとの思いを深めた視察団であった。 ※ ノースバンクーバー市役所への表敬訪問前に午前中、千葉ガーデン、ジョンブレイエストコミュニティセンターを訪問しました。 ○ ジョンブレイエストコミュニティセンター この施設は、市の所有地を民間開発業者に売却し、民間開発業者が建築後、市が購入した施設(約6億円)であるとのことであった。また、建設に際しては、建築デザイン・施設の多様なサービス内容など地域住民が参加し、いろいろな意見を出し合って建設した施設であり、施設上部は民間のマンションであった。 施設内容は、地下1階から地上2階で、地下1階が体育館、スポーツジムとなっており、この階の利用のみ有料で、その他は無料とのことであった。また、1階は老人利用の部屋等で、2階は幼児教室(幼児から中学生位までの日本の子どもルーム)・母子教室、講習室である。 その他視察当日は、カナダに移民するイラン人に対してカナダの基礎知識・慣習・言葉などを教え、早くカナダ国民となれるよう研修を行っていた。 また、このコミュニティセンターは朝6時からのオープンで、通勤前の市民がスポーツジムで運動した後、勤めに出かける人も多いとのことであった。 2 サンタモニカ市 (1)サンタモニカ市の概要及び市議会 説明者:ソニア・ラモス氏(市議会事務局長) サンタモニカ市は、アメリカ西海岸カリフォルニア州のロサンゼルスから西へ約25kmに位置し、人口約8万4千人の都市であるが、大型の都市の特徴があると同時に、美しい海岸と公園、ホテル、ショッピング街などのある観光都市で、近隣市或いは海外からも観光に訪れている。 市議会については、議員の任期は4年で、構成は男性6人、女性1人の計7人で、他に職業を持っており健康保険は市で負担するが、報酬額は少額である。 市議会の会議内容はケーブルテレビで放映しており、また、インターネットでも見ることができる。しかし、議事録等はホームページ内に記録してはいない。 それは、会議内容の映像を記録し、索引ごとに見られるようにするには、多額の費用が掛かることと、市議会には18の特別委員会があり、この委員会の際に、市民も参加して自分たちの意見を言う。その際、発言者の発言内容や住所などの情報が当然、議事録に記載されるためとのことであった。 主な質疑の内容 Q 市議会議員選挙の方法及び、立候補者数について A 議員の任期は4年であるが、7人全員が同じ時期に就任しているわけではなく、約半数ずつ改選されるため、今回の選挙では3人が対象であった。この選挙に4人が立候補した。当選した議員の内、カリフォルニア州知事のシュワルツネッガー氏の義弟も含まれている。 また、選挙には多額の費用が掛かるが、立候補者は一般人から1人当たり250ドルを限度に選挙費用を募ることができる。また、立候補者はアメリカ国民でなくとも住民であれば立候補できる。 (2)サンタモニカ市情報システムについて 説明者:キース・A・カーツ氏(インターネットシステム調整官) @ PEN System設置当初 1989年に構築されたサンタモニカ市のPEN System(Public Electronic Network)は全米初の行政オンラインシステムで、当時では世界でも珍しくかなり長い時間を掛けてこのシステムを開発した。 このシステムによって住民がより簡単に市のサービスについてアクセスが可能となり、市役所の各部署とのコミュニケーションが簡単になり、更に住民に対してのコンピュータやその他のIT機器に対する理解や接触の場を提供するのにも役立っている。 サンタモニカ市は、1980年代初頭から既にコンピュータが普及していて、1984年には市の職員1,500人のうち600人がパソコンを使用していた。一方、1987年には市民も約3割が既にコンピュータを持っており、その内7割程度の人がモデムを所有していた。ネットワーク構築に当たって市役所内で激しい議論があったが、市民に対して「パソコン通信で住民参加の出来るシステム」の是非を聞いたところ、75%の住民が多くの公共サービス情報を求め、50%が議事録を読みたい等との回答があったことから1989年2月から実施した。 当時はまだ、インターネットが開発されておらず、ローカルだけでのエレクトロEメールで市民と市役所を繋ぐメールを使っていた。 私はエンジニア出身であり、システムを考えることは好きであるが効果等を考えて稼動させることが必要であったため、他の職員の意見を聴きながら、経費も考えつつ開発した。 ○ PEN System設立の目的 ・公共的な情報を容易に接することを可能にすること・行政サービスの伝達の手助けになること・市民間の新しいコミュニケーションの形を提供すること・コンピュータ通信技術による公開討論の場を提供し、コミュニティ意識を強化すること・市民のIT技術への知識を拡大すること・すべての市民に公正な情報を提供すること ○ PEN Systemのプログラム ・市情報告知サービス・電子メールによる行政サービス・会議室・図書館利用サービス A インターネット開発後のPEN System ア. システムの変更 1990年にインターネットが世界中に広まったところで、サンタモニカ市も大きな変革を迎えた。インターネットの開発は、市民同士、市・住民とのコミュニケーションのやり方を根本的に変えたのみならず、市役所の市民に対する対応も大きな変革をしなければいけなかった。当時、インターネットの開発によって一般の民間企業がいろいろ情報革命をしたため、市民が行政に対して同じようなことができるのではないかと期待を持ち始めた。 そこで、それまで使っていたサンタモニカ市のシステムを全面的にインターネットに変え、写真や映像が入るようシステム変更をしたが、市民の期待はもっと上を望んでいた。当時、市民の間では電子政府が話題になっており、市民が思っている電子政府のイメージと、行政が持っているイメージは違っており、市民は電子政府によってもっと便利になるなどのメッリトに対する期待が大きかった。 つまりどこからでも、何時でも24時間アクセスできることを市民は求めていたし、簡単に効率的に市役所と交信したいことと、早くそして多くの情報量を求めていた。このシステムはその要望に対して、十分応えられるもので、また市役所にとっても便利なものであった。 例えば道路工事の場所や期間などについて市民が今までは分からなかったことが、市のホームページに載せることによって、早く情報が分かり市民の理解が得られるようになった。市役所も迅速に交信できるようになって、市民との意思疎通が図れるようになったこと、また、もう一つは経済的な側面で、民間企業が市との間でのビジネス面で活用できるようになった。 イ. 問題点 しかし、先端技術を行政がいち早く取り入れて実際に応用することは、良いことだが、また、リスクも伴う。リスクを負ってまで効率化する必要があるかどうかという意見もあり、投資効果があるか、どの位の効果が上がったかという測定が難しいという問題もある。 民間企業であれば、コストをセーブし、効率・利益を上げれば、はっきり効果が分かる。また、うまくいかなければすぐにシフトし直すとか、対象の事業をやめるとか早い対応が可能である。 また、サンタモニカ市では効果について市議会に対し詳しく内容を説明しなければならず、客観的に把握できる数値としてアクセス回数を報告している。もう一つ住民の満足度を調べる方法として、市民アンケート調査があり、それは市の情報をどのような手段で入手したかという質問で、調査員が電話して市民に聞き統計をとる。市民がどのような経路で情報を入手したかが分かり一番多かったのが、ロサンゼルスタイムスで見た、二番目は市の広報誌で知った、三番目がケーブルテレビ及びホームページで知ったという順であり、この結果も報告している。 もう一つ重要なことは、プライバシーの問題がある。一般的に官庁で扱う情報は、一般市民には公開しなければならないし、自由に情報を入手できることが必要である。しかし、公開してはいけない情報もあり、例えば、裁判で係争中の問題であるとか、賠償事件とか犯罪歴などの情報で、このような情報は市民には見られてはいけない。市では持ってなければいけない情報であっても、市民からは見られないように特殊な加工をする。 最近、各自治体では地理情報システム(GIS:Geographic Information System)を導入している。このシステムを活用すると、市内の土地で誰が所有しているかなどの情報も見れるし、もう一つは衛星からとった写真などは、かなり拡大した精度の良い写真で庭に何が置いてあるかまで分かってしまうため、個人のプライバシーの問題のため、ぼかして精度を低くして載せている。個人情報の保護に抵触しないように、情報入手経路なども載せている。 このようにテクノロジーの状況もかなり進歩し、変わってきている。 主な質疑の内容 Q サンタモニカ市の情報システムは、市直営で実施とのことだが、技術系の専門職員を採用しているのか。あるいは、一般の職員を育成しているのか。 A 人材育成に関しては、時間の経過とともに変化してきた。当時、コンピュータ技術者はかなり人気があり、民間でも高給で引き抜き合戦が続いている時代であったため、市の給与では有能な職員の採用は難しかった。 しかし、2年位前から状況はかなり変わってきた。それは、当時と比べれば、コンピュータに詳しい者を採用することは難しくない時代となった。現在は、専門知識を保有し、なおかつ、新しいコンセプトやスキルなどを学習する能力に優れている人たちを採用するよう心掛けている。 Q 再開発計画に対する情報提供や住民の意見聴取などについて、どの位の期間を掛けるのか。 A プロジェクトごとに随分違いはあるが、例えば市役所近辺の再開発計画の場合は、過去10年〜15年位掛かっているし、一概には言えない。しかし、公園を作るなどの場合は、利害関係が結構発生するため相当以前から準備を必要とする。 Q 市議会議員は全員インターネットサービスが使えるのか、また、市で準備等をしてあげるのか。 A 市議会議員に当選した場合は、情報管理部門がインターネットを含めて使えるように全部セットアップし、使い方についても教えている。 Q 情報システムを市民がみんな使えるのか。 A 全員が使えるわけではないため、学校でコンピュータのカリキュラムに入れる、短期大学でも教える、図書館などでもコンピュータを設置してコンピュータを持っていない人も使えるようにしている。しかし、パソコン端末を持っていても、それだけでは物事は解決しないと思う、要するに使い方次第であると思う。 Q どの程度の住民がこのシステムを使っているのか。また、パソコンをできない人もいると思うので、このシステムでどの位の住民をカバーできるのか。 A 市民がどの程度このシステムを使っているのか、測定するのは非常に難しい。ただ数字的には、市民は市のサイトの掲示板を月100万ページ見ている。 Q 市民が月100万ページの掲示板を見ているというが、この結果についてどう考えているか。 A 10万人の都市で100万ページというアクセス数は、非常に多いと考えており、かなりの大都市のアクセス数に匹敵している。 Q パソコンを持っていない、あるいは使えない人との間に不平等感があると思うが、どのように考えているか。 A 情報提供に関して言えば、いろいろなメディアを使ってやっており、インターネット以外の情報提供でもカバーはできると思っている。 Q 情報提供の点で行政と民間との違いは何であると考えるか。 A 市役所と民間企業との違いとしては、市役所は市民に漏れなくサービスを浸透しなければならないという大前提がある。また、Eメールだけでなくテレビやラジオなどのメディアも使うし、ダイレクトメールやポスターなども活用して情報を浸透させている。 しかし、民間企業ではどのような顧客であるかを把握しているため、それに対応したメディアを使って伝達すれば良いという点で行政とは違っている。また、目的自身も違っていると思う。それは、民間は利益の追求が第一であり、優先順位はマーケットである。 (3)サンタモニカ市再開発システムについて カリフォルニア州の中で、再開発での成功例として、サンタモニカ市のサードストリートプロムナード、パサディナ市の旧市街地、サンディエゴ市のショッピングセンター(オートンプラザ)がある。 サードストリートプロムナードは、市・民間企業との第3セクター方式によって1984年頃から始まった再開発で、市はもともと道路であった土地を提供し、建物は各民間企業が建設した事業であった。この地域には、古い建物が各々に建っていたが、開発者が市と協議して民間事業に建設する店舗等を割り振り開発した。 しかし、当初から成功していた訳ではなく、アメリカでもこのような試みはあまりなく、集客数も当初は少なかった。また、夜など治安のよくない地域もあるため夜は外出しないことが多く、高級店だけでなく街の活性化策として、映画館やレストランなどを誘致し、夜間における集客も図った。しかし、土地の価格が高いため、ある程度の優遇策を用意し、誘致しなければならなかった。 このため、サードストリートプロムナードの開発には市がかなりの費用負担をしなければならず、また多額の費用であったため、30年の市債発行によって資金調達を行ったとのことであった。 また、この再開発地区は、市内・市外或いは海外からも観光客が車で立ち寄るが、駐車場が当初はなかった。このため、後に民間企業が駐車場を整備し、整備後は、夜間においても集客数が増加し、賑わいのある街並みとなったとのことであった。 3 バーバンク市 (1)バーバンク市の概要及び市議会 説明者:ボブ・クレイマー氏(市長補佐官) バーバンク市は、ロサンゼルス市の北西部に位置し、ロサンゼルス市からは車で25分ほどのところにあり、数多くの映画スタジオ(ワーナーブラザース、ディズニーランド、NBC等)が集っている都市で、市内には国際空港もあり、エンターテイメント商業都市として知られている。 人口は10万5千人程度で、市役所の部署として警察・消防などがあり、20程の公園を管理する部署や、廃棄物処理の他電気事業も行っている。この電気事業については新しい発電所が完成し、発電量はバーバンク市全域に供給できるとともに、近隣の4都市へも供給している。 バーバンク市は大変発展して活気のある都市であり、ワーナーブラザース社やウオルトディズニー社、NBCなどの映画スタジオが沢山あり、これらの会社に関連した仕事に従事している人が多くいる。また、これらの会社からの税収が多く入り、撮影に際してエキストラなども地元で調達するため、雇用の創出にもなっている。 市議会については、議員の任期は4年で、構成は議員(市長を含む)5人で男性3人、女性2人の計5人で、市長は5人の議員の互選により選出される。現在の市長は マーシャ・R・ラモス氏である。また、説明者のボブ・クレイマー氏も過去に7年間議員の経験もあり、その内2年間市長でもあった。 毎週火曜日の夜6時30分から開催される市議会の模様は、ケーブルテレビで放映されており、また他の日にも録画放映している。市議会議員席は、市長を真ん中にして5人が座り、反対側に市の幹部(警察、消防、公共事業部門、会計監査など)が座り、質疑が行われる。一般市民も参加し、質問や意見を述べることができ、その内容は、公共工事などに関しての苦情等が多く、市民は意見を1人5分述べることができるが、発言者が多くいるため聞くだけで2時間ほどかかり、市議会が真夜中まで開催されることもある。 主な質疑の内容 Q 市の予算規模等はどの位か。 A 全体で3億5千万ドル程度で、この内、1億1千万ドルは警察・消防での直接的な 経費であり、警察・消防は24時間の勤務であり、相当の経費がかかるため、市の予算に占める割合が大きい。 Q 市における環境保護政策について伺う。 A 基本的に各都市の環境対策は、州及び郡が定めた立法措置に基づいて実施する。 例えば、上水道について、市は環境基準に適合しているかを調査する。過去にバーバンク市では、水質汚染の問題があった。それは以前にロッキード社の工場があったので、工場の排水により地下水が汚染された問題があった。このため、地下水を汲んで飲料水にすることが難しくなり、北カリフォルニアから水を引いて水道水としている。 また、地下水浄化のため、ロッキード社が企業責任として1億ドル程度を負担した。 その他、ロッキード社の工場跡地は現在、大きなショッピングモールになっているが、土壌汚染の問題もあり、同社は4千万ドルを掛けて土壌の浄化も行っている。 企業が土地を売却する場合には、必ず土壌検査を実施し、その証明書を添付しなければいけない。例えばガソリンスタンドであった土地を売却する場合などは、土壌検査が必要で、浄化するには30万〜40万ドル程度の経費が掛かる。 Q バーバンク市には映画関係の会社が多くあるが、市の政策として誘致した結果なのか。 A 特に誘致策はなかったが、60〜70年前にウォルトディズニー社が進出したのを発端に、徐々に多くの会社が進出してきた。 Q 郡にも首長がいるのか。また、州、郡、市の位置づけはどうなのか。 A 郡とは、州と市の間に位置するもので、勿論行政体でありスーパーバイザー(議員)もいる。バーバンク市はロサンゼルス郡に属しており、ロサンゼルス郡には12人の議員がいて、選挙で選ばれている。また、ロサンゼルス郡は、カリフォルニア州に属している。 首長は市と同じように、議員の中から互選で選ばれ、フルタイムで働いている。郡がなぜ影響力があるかと言うと、固定資産税及び消費税は全部郡に入り、郡から市には交付金として入る。 Q 市に直接入る税収はどのようなものがあるのか。 A 直接入る収入は、例えば公共駐車場料金、建築許可申請料などで、バーバンク市は国際空港も近隣の3市と共同で経営しており、その歳入もある。現在、空港拡張計画があるが、大気汚染・交通問題もあるため、当市は拡張の必要はないとの立場に立っている。 (2)バーバンクリサイクルセンターついて 説明者:クレイグ・ハンペル氏(リサイクルセンター所長) ホープ・マクアローン氏(リサイクル専門官) @ バーバンクリサイクルセンターの概要 バーバンク市は、ごみの選別・仕分けなどを直接行っている。このセンターは千葉市のリサイクルセンターと同様に1992年からスタートしたが、その10年前の82年にマテリアルリカバリーセンターとして、いろいろな素材を回収するという目的で、建設された。その後いろいろな施設を追加して現在のセンターとなった。 このセンターは、南カリフォルニア最大規模で月間5,000トンを扱うよう設計されているが、最近では月間取扱量が6,500トンまで拡張されている。市が、ミズリー州のジェファーソン・スミルフィット社(JSC:Jefferson Smirfit Corporation)との10年契約による官民共同運営で行っている。 従業員は、79人でこの内バーバンク市の職員が4人で、役割としては、ごみについての教育あるいは広報関係の仕事をしており、毎年1,500人位の子どもたちが見学に来ている。その他75人は民間企業の従業員であり、その内35人がセンターの選別作業に当たり、残り40人は会計や営業に携わっている。 土地は市の所有であるため、土地の賃借料と選別したごみの量によって歳入が入る。この内、民間企業からは固定費として月16,200ドルの料金が入る。 A バーバンク市の廃棄物収集・処理について 市は、各家庭に3種類のごみ箱を配付してごみの収集を行っている。箱の種類は、黒、青、緑色の箱で、黒い箱はリサイクルなどができないごみで、埋め立て処分をしている。緑色の箱は、葉・枝などでコンポストで肥料などにする。 青い箱には、資源物としてビン・缶や紙箱などで、これらは家庭におけるごみのほとんどであり、分別せず捨て、箱の中身を当センターで仕分けをしている。 15年前はビン・缶などの品目ごとにもっと細かく分ける方法をとっていたが、ごみの量が増加したのとリサイクル用のごみは資源として収入となるため、一括してセンターで仕分けした方が効率がよいということで、大きなごみ箱にした。また、各家庭では、分別の煩雑さが解決したと好評である。 また、1989年にカリフォルニア州で廃棄物に関する法改正があった。それは1989年と比較して2000年までにごみ量を半分にする目標値を掲げた法律であり、もし半減できなかった場合には、1日当たり1万ドルの罰金を科すという強制的な法律であった。一部の都市は罰金を科せられたところもあったが、この罰金が大変であったため、各市は州に対して1日当たりのごみ量をレポートにして提出していた。この法律によって各市とも努力せざるを得ず、減量の効果は一時46%までに減量することができた。 バーバンク市も55%〜60%のごみ減量に成功した。それは、カーブサイドプログラムという道路の角にごみ箱を設置し、各家庭からはごみの収集費用を徴収するものであった。 一方、民間企業などの場合には、資源物が多いため収集費用は各家庭よりも安く、一律6ドルを電気代・水道代とともに請求する。低料金の理由は紙などのリサイクル物が多いためで、このようなシステムに変更した。 緑色の葉っぱとか枝とかを回収するごみ箱は、民間企業と契約し、収集・処理し堆肥にしている。また、市内の家庭にコンポストを5,000個程配布し、各家庭で肥料作りをしてもらい、委託料の減額と、ごみの減量に努めている。 粗大ごみについては、週1回収集しており、冷蔵庫などは、フロンなどを除去してから処理している。その他、鉄などの金属も収集・処理しており、スクラップなどは、リサイクルセンターに市民が直接搬入すれば、無料で処理をしている。 センターの運営経費は、1つとして州からの交付金、2つとして各家庭からの収集費用、3つは、バーバンク市の道路で資源物を回収できる権利を民間企業者に許可し、市には歳入として入る。 B アメリカにおける廃棄物・リサイクル状況について アメリカでは古紙の75%を中国に輸出しており、中国での古紙の輸入量に占めるアメリカの割合は35%である。 その他、今まで中国は家電製品は何でも受け入れていたが、有毒物も含まれているため、アメリカ・日本などからの廃家電品は受け入れていない状況にある。また、アメリカでは新法が制定され、2005年からは家電製品1個に対して12〜16ドルの費用が掛かることとなった(収集・処理費用として価格上乗せ方法)。これは、エレクトロニクス関係でコンピュータやモニターなどに有毒物質が含まれており、処理費用が掛かるためである。 この費用の内、半分は、処理業者に支払うことに、また残り半分は回収業者に支払われる。このセンターも回収業者としてこの料金が入ることになるが、処理費用が高いため、この料金では見合わない。 この家電リサイクル法以外にも、最近は多くのリサイクル法が制定されており、例えば、携帯電話のリサイクルで、携帯電話会社が客から回収して処理することになる。その他車のバッテリーなどはリサイクルできる余地はあるが、乾電池の処理などは大変である。 その他、連邦法では規定されていないが、10州でボトルビルという法令を施行している。これは、24オンス以上のビンや缶については、スーパーマーケットなどで売る際に、1個について回収費用として8セントの費用を上乗せしている。24オンス未満の場合には4セントの価格を上乗せしている。つまりデポジット制を導入している。 カリファルニア州もこの10州の中に入っており、ビン・缶の回収率は非常に良く施行していない州と比較して3倍以上の回収率となっている。また、市が回収したビン・缶については、州から交付金が入る。 主な質疑の内容 Q 第3セクター方式でやっているとのことだが、その収支状況などはどのようになっているのか。 A 収支状況は良好で、固定費用の16,200ドル以外にごみの回収量が増加すれば、市への歳入も増加する。 Q 生ごみとか、資源物以外のごみ処理はどのようにしているのか。 A 緑色のごみ箱は、本当は果物くずなどを入れても良いが、減量させるために葉っぱや枝に限定している。一般の家庭ごみである食べ物くずは、各家庭に設置されているディスポーザーで砕いて下水道に放流している量が多い。また、レストラン等で多く排出される事業系生ごみなどは回収して、肥料等にリサイクルされている事例もある。その他、一般にいうごみは埋め立て場に運び込まれるが、生ごみは全体の25%程度である。 Q リサイクルキャラクターの山羊は、どのような意味があるのか。 A 名前は市民から募集しビリーレイリサイクルといい、山羊の胃は4つに分かれている動物であり、ごみの4種類を食べるという意味もある。 4 マサチューセッツ州障害者局 (1)アメリカ障害者法 今回の海外視察に際して、独立行政法人高齢障害者雇用支援機構 障害者職業総合センターの指田忠司氏を招いて、10月21日(木)に事前研修会を開催し、今回の視察テーマであるアメリカ障害者法について、講義いただいた。以下、その概要である。 1990年に制定された障害者の権利を守るための法律であるADA(Americans with Disabilities Act of 1990 アメリカ障害者法)により、障害者の就職や教育、交通手段や住宅取得などの機会均等が促進され、バリアフリーの街づくりも進み、より多くの障害者が移動のツールとして車両を使うケースが増加してきた。 また、公共交通機関、交通インフラ、建物などのバリアフリーとアクセスの向上が義務付けられたことで、福祉車両への関心が高まり、運転補助機器の普及も促進された。 同法制定に至るまでの障害者等に関する法整備の経緯としては、まず始めに1918年に職業リハビリテーション法が制定され、その後1964年に公民権法が制定された。当時は、ベトナム戦争の影響により障害者数が増加した時代であり、その後1973年にリハビリテーション法となった。この法律は、連邦政府などの公的部門による障害者等への差別を禁止する法であり、対象は、公的部門のみで民間は対象外であった。 その後、1989年に全米障害者評議会の答申を基に、1990年現在のADAが制定された。 制定されたADAの構成は、第1章の雇用では、従業員15人以上の事業体は採用・解雇・報酬・昇進・その他の雇用条件に関して障害者を差別してはならないとされている。 第2章の交通・運輸では、バス・鉄道など事業体が運行する車両は車いす使用者を含む障害者が容易に利用できなければならないと規定している。 また、第3章の公共的施設は、不特定多数の人が利用する施設経営者はその設備・サービスにおいて障害者を差別してはならないと規定されている。例えば、公共施設やホテル、飲食店、小売店など公共的に利用される施設で、障害者が自由に出入りできず、サービスが制限されることは違法行為とされる。また、出入り口が段差になっていればスロープに改良、トイレも車いすで使用できなければ、営業許可が下りないなどである。 次に、第4章においては、電話リレーサービスの規定があり、通信事業者は文字式電話を使う聴覚・言語障害者と一般の電話利用者との双方向通信を保障しなければならないとされている。これは、聴覚・言語障害者が自由に通話出来ないことも差別とし、電話会社にリレーサービスを義務付けた。 このリレーサービスとは、聴覚・言語障害者がタイプ付きの電話で打ち込んだ会話文を、オペレーターが通話相手の健常者に代読し、健常者の話を文字に変換して、障害者の電話の表示画面に映し出すサービスである。 最後に第5章の救済措置では、これらに違反した場合の罰則規定を設けて、拘束している。同法遵守のために企業は金がかかる。しかし、アメリカでは公民権法を基本に平等思想が広く浸透しており、企業の公共性や社会的責任が厳しく問われる。企業負担の緩和のため改善実施までの猶予期間が設けられ、一部免除規定もあるが、一方で差別に対する提訴権を認めており、その意味で法的拘束力は強い。 (2)マサチューセッツ州障害者局 説明者:マイラ・バーロフ氏(障害者局長) @ マサチューセッツ州障害者局の概要 マサチューセッツ州障害者局は、障害者の人権確立を促進させるため、1981年に設立された。現在、同局が優先的に行っている施策は、 ア 障害者の人に対する差別を無くすこと イ バリアフリーの環境を作ること ウ 州政府が提供するサービスがきちんと行われるように改良すること エ 障害者の人たちのニーズについて世間一般の意識を高めること の4点である。 障害者局の行っている施策の一つである、「コミュニティ・アクセス・モニター・プログラム」は障害者の人々が物理的な問題やコミュニケーション面で問題を抱えていないかどうかコミュニティレベルでモニターするもので、職員や、建築物検査技師をはじめ、トレーニングを受けて州政府許可の「モニター(監督者)」となった人たちは連邦政府が判定した障害者条例の規則が各地域で守られているかどうかを調査し、ボランティアとして地域の環境改善に努めている。 A マサチューセッツ州障害者局の実態 障害者局は、マサチューセッツ州に住む障害者の人権が保たれるために設置され、州内の建物において障害者が入場できるようにする規定などを作成しており、これらの規制・権限は連邦法によって守られている。また、州内の市町村は連邦法をよく理解し、州と協力し合って行っているとともに、障害者に関するいろいろな局面の際に、障害者局に相談にくる。 州内には多くのボランティアの人々がいて、各地域にボランティアの委員会を設置している。地域の委員会は障害者局に助言を求めてくるため、州から委員会に助言・指導を行っている。 障害者局は3部門があり、1つはコミュニティサービスの部門、2つに地域内でのコミュニティ活動のモニターを行う部門、3つはクライアントサービスユニット(顧客サービス部門)である。障害者のための人権擁護のための組織で、障害者誰にでも手助けすることを目的としている局であり、また、収入によって差別制限することもない。 障害者が電話で助言を求めることも多くあり、障害者がどのような問題を感じているかというと、まず住むところがないということで、生活困窮者、肢体不自由者についても住宅問題は深刻である。 次に、雇用問題は大変重要な問題であり、雇用されていても、職場における差別についての相談も多くある。そして、公の場所、例えばレストランや映画館等に入ることができないとの苦情も多くある。これらの苦情・相談に対して解決することがこの局の仕事である。これらの問題に対し、障害者を保護する州法に照らし合わせ、施設に状況改善を州として働きかけることを行っている。 例えば、駐車場建設の際には特定の設計を行うことを求めている。それは建築法に基づいて建設する訳であるが、法に基づいて障害者用駐車スペースの隣に、障害者がリフトを使って車椅子を降ろせるようにスペースを確保する必要があるため、州政府が線を引いてスペースに駐車してはいけないとした。しかし、解釈の違いによって障害者が停めて良いとした市町村があったため、車椅子の乗降ができず困っていることがあった。このため、障害者用駐車スペースの脇には乗降スペースを空けるよう元の法律に戻そうと州政府がしている。 このように、いろいろな解釈の違いによって混乱が起きることがあり、州の行政者とともに障害者の権利を擁護するよう、障害者の立場に立って話すなどの活動をしている。 現在、マサチューセッツ州ではヒアリングエイド(補聴器)は健康保険の対象となっていないため、健康保険の対象となるよう努力している。 クライアントサービスユニットでは、差別を受けたと感じる人の電話を受け、その人たちを擁護する立場をとっており、苦情の相手側と調整することが第一である。 また、障害者局全職員の内80%が障害を持つ職員で、建物におけるバリアフリーに関する調査や、人権擁護を担当している職員は、視覚障害者で裁判所に提訴の手助けなどをしている。 年に6回州全体に広報し、州内での研修会を2日間実施しており、参加者は毎年1,200人程度で、市職員・建築家・障害者自身などが参加している。マサチューセッツ州には大変厳しい建築規制があり、この研修会の中で連邦政府の規制・法律などを教えている。関係者が一堂に会して同じ情報を聞き、理解・習得することが大切であり、規制が守れなかった場合、それに対する責任を取る必要を周知する。 この2日間の研修会が終わった後、建設当事者たちから局に電話があり局の職員が現場に向かい立ち会って、建築物に問題がないかチェックする。 主な質疑の内容 Q マサチューセッツ州の中で、障害者政策及び実施状況で進んでいる市はどこか。また、バリアフリーについて伺う。 A 私が考えるところ、ケンブリッジ市であると思う。ケンブリッジ市には大変熱心な委員会があり、この委員会を市が指導・助言を与えている。また、それぞれの市がどのようにして障害者に対する差別がなくなるか考えていくことが大切であり、また、法律を良く理解し、法律を遵守することが重要であることと、障害者自身と市役所とで対話することが大切である。障害者の生活を守れるよう、人権に関する法律が沢山あるが、これらはアメリカ障害者法によって守られている。 次にバリアフリーについてだが、建物に入場できないことは障害者を阻害していることとなる。例えば新しい建築物あるいは道路ができても、障害者が入場できない、使えないという場合には、障害者への人権侵害となる。このため、州では建築物の管理者が建築基準法の内容が詳細に分かるように、パンフレットを作成し啓発している。 Q 州は障害者の雇用対策のサポートはどのようにしているのか。 A 障害者が就職できるよう、どのような教育が必要かを考えて研修や訓練をしている。 また、資金面のサポートとともに、訓練を受けた就職を希望している障害者には、雇用主に州が働きかけをする。あらゆる分野で障害者が就職できる状態にするのが州の目標である。 Q 障害者雇用策を行っているのは、障害者局ではなく他の局が担当しているのか。 A 雇用策については、州のリハビリテーションコミッションが担当しており、18歳以上で就職したい人及び障害者のサポートをしている。 Q 日本では一定規模以上の会社では、従業員の何%以上は障害者を雇用しなければならないという法律があるが、アメリカでもこのような法律があるのか。 A そのような法律はないが、州知事は障害者の雇用をするよう命令を出すことはできるが、何%以上というような目標値まではできない。 ※マイラ・バーロフ氏よりの質問 日本の法律では、障害者雇用率は何%と規定しているのか。 ※視察団回答 56人以上の民間企業では、1.8%以上。官公庁では2.1%以上である Q 連邦法の障害者法と州法の関係だが、連邦法は努力目標値を掲げており、各州によって対応が違っていると思うが、マサチューセッツ州では連邦法と比較してどうか。 A 州法の方が連邦法よりも優れていると考えている。それは、連邦法を州法によって守らせることができるからであり、マサチューセッツ州の委員会で監視をしているからでもある。 また、連邦法による対象の会社は、従業員が15人以上であるが、州法では6人以上としており、法律を遵守させるためには、州の方がよりきめ細かく行うことができる。 Q 人種や障害によって雇用や施設利用の差別を受けた場合は、州はどのような勧告をするのか。 A まず第一は、加害者が差別と考えていない場合が多くあるため、まず話し合うことが第一であり、当事者同士が理解し合う必要がある。 次のステップとしては、当事者だけでなく州が仲介に入り、当人だけが差別をされたと思っている事例も多くあるため、内容を調査し、話し合いをさせることで多く成果を上げている。 Q 障害者局の相談件数はどの位あるのか。 A 相談スタッフは15人いて、年に2万件程の相談を取り扱っている。 5 パーキンス盲学校 説明者:マイク・カタルゾロ氏(パーキンス盲学校教師) (1)パーキンス盲学校の概要 パーキンス盲学校は、1829年にアメリカ合衆国で始めて設立された盲学校で、今年で175周年を迎える。当初ボストンにあったが、その後ボストンの東に移り、1912年に農場であった現在地のウォータータウンに移った。 この建物は、視覚障害者のために特に設計されたもので、廊下では声が反響するようにしてあり、また真っ直ぐに設計されている。もう一つの特徴は、左右対称になっている。また、パーキンス盲学校では教材や教室のすべての物が触って分かるように作られおり、机にも番号などの印がついていて、自分の座る位置が分かるようになっている。 また、パーキンス盲学校で一番大きく変わったのは、1970年代、80年代にかけてエレベーターを設置したり、ドアを大きくしたり、通路も広くすることであった。また、視覚障害者は距離の感覚が鈍いので、階段には目立ち、分かりやすい色である白い線を引いている。 廊下においてある地球儀も、教室に置いてある動物の標本もどのような形をしてい るかを分からせるため、触って覚えさせるための物である。 パーキンス盲学校の生徒は、幼児から22歳までの人が在籍している。また、アメリカでは視覚障害になる原因の一番は糖尿病によるもので、マサチューセッツ州全体で4万人いるが、その内55歳以上の者が2万9千人いる。 パーキンス盲学校は私立学校だが、公立学校とも言える。それは、生徒の学費は生徒の住んでいる自治体が払うからであり、学校の運営経費は、授業料と資金支援による。 (2)施設内での説明 @ 図書館 司書は紙・カセットテープ・コンピュータ用に資料を作成している。 設置しているコンピュータは普通のものであるが、音声で使うことができるソフトや画面に大きな字が写すことも可能で、点字で印刷できるソフトが入っている。 周辺機器も揃っており、カメラの下には本を置くことができ、モニターで見る時は好きな大きさに拡大することができる。 障害者はテクノロジーの向上や、コンピュータを利用することによって、大変便利になった。25年前までは、視覚障害者の5割までが点字で資料などを読んでいたが、今では10%に過ぎない。しかし、当校では視覚障害者のすべてが点字を読めて、点字の資料が行き渡るようにして行きたいと考えている。 健常者と同様なレベルになれるよう、視覚障害者に対するコンピュータソフトも充実してきており、インターネットにアクセスでき、健常者との通信もできる。 主な質疑の内容 Q マサチューセッツ州の中で盲学校は、パーキンス盲学校だけか。また、他の州からパーキンス盲学校に入学することはできるのか。 A 昔は盲学校の数も少なくパーキンス盲学校に他の州から通学できたが、現在、各州に盲学校があるため、また、法律が変わり各州内で通うこととなった。 Q パーキンス盲学校に在籍する生徒数 はどのくらいか。 A 幼児から22歳までの視覚障害者が 対象で、200人在籍しており職業訓練 の準備段階までを対象としている。また、視覚障害だけの子どもは、普通の公立校に通っていて、パーキンス盲学校は、視覚障害以外にも障害を併せ持つ人を対象としている。このため、れたヘレン・ケラーも使った視聴覚障害者用のもの在籍する視覚障害だけの生徒はかなりの少数である。 Q パーキンス盲学校の運営経費等はどのようになっているのか。 A 運営経費として3,200万ドルほど掛かり、その収入内訳は授業料が65%で、寄付が35%。授業料は個人個人の障害によって違うが、生徒の出身市町村から支払われているため、本人が支払う必要はない。 A 視覚障害者の疑似体験 視覚障害者は健常者に比べ運動量が少なく、活動範囲が狭い。また、体の動かし方には3つの方法がある。1つは目の見える人をガイドとして腕につかまって歩くこと。2つは、盲導犬を利用すること。しかし、この2つを合わせても全体の3%に過ぎない。3つは杖を使うことで、杖は一番コンパクトで見ている人も視覚障害者であることが分かり、避けてもくれるし便利である。当校では生徒に体の動かし方をゲームを通じて教えている。 ア 体育館 1960年に完成した体育館の2階部分に設置してある手摺に沿って目隠しをして、視察団一同が1周し、歩く感覚を体験した。 イ 教室 目隠をし、箱の中に入っているねじを取り出し、手の感覚だけでねじを閉める作業を体験した。 主な質疑の内容 Q 中途失明者の教育はどこで行っているのか。 A 視覚障害者には2つタイプがあり、病気・怪我によって失明した人、生まれた時から不自由な人である。中途で失明した場合、精神的な問題を克服しなければならず、中途失明者に対する教育は一番大きな問題である。しかし、中途失明者は、昔に見た記憶をたどり目で見たらどうであるか想像することができる利点がある。また、教育方法は、手で触らせて覚えさせる方法と、よく説明して覚えさせる方法がある。障害者に対する教育は大変想像力を要求される。 社会一般で障害者に対する雇用率が低いことが問題であり、アメリカ合衆国では障害者全体の失業率は65〜75%もある。 (3)二重障害者からの実体験談 説明者:ジェイミー・ラークス氏 スーザン・ハジャー氏(ジェイミー・ラークス氏の通訳者) 通訳者を通して、説明者の話を以下のとおり伺った。 私はデフブラインド(目と耳が不自由)で、パーキンス盲学校ではPRを担当している。私は、ニューヨークで生まれ、誕生後、両親は私の異常に気づき、病院で診断してもらった結果、目と耳が不自由であることを知らされ大変なショックを受けた。 その後州の視覚障害者の相談機関を通じて、私にとって最良の教育を受けさせるため、パーキンス盲学校を紹介してくれた。 そして、5歳の時に入学するためニューヨークからマサチューセッツ州に引っ越してきた。学校での生活は、月曜日から金曜日までをキャンパス内の寄宿舎で過ごし教育を受けた。そして目の見えるガイドを頼み、動く際にはガイドの上腕部に触れ、ガイドの半歩ほど後から歩いている。学校では1対1で教えていただき、触ることと、かすかに見ることができる(色盲のため色は白・黒・灰色でしか見えない。)ため読む時は大きな活字を使いコミュニケーションを図った。内容は、科学・数学・読み方・書き方・英語、杖を使って動くことなどであった。当校の先生は大変素晴らしい人たちで、説明者のマイクさんには水泳を教えてもらったし、クラブ活動も陸上部に入っていた。 パーキンス盲学校では、料理・洗濯・片付け・店での買い物など独立するためのプログラムがあり、これらを習ったので一人で何でもできるようになり、現在はこの町(ウォータータウン)でひとり暮らしをしている。色が分からないが、前もって色を聞いて布の感触で着る服も選び、朝起きるとベッドを片付け、掃除してから食事をする。食事のマナーも学校で教えてもらい、コップや皿の位置も決めている。 電話はTTYを使う、これは、タイプライターのようなもので、上部にスピーカーが付いていて、またストロボが点滅するので、電話がかかっていることが分かるので、タイプで返事をする。TTYを使うには、相手側もTTYを使うことが必要である。TTYのほかに使う装置は、字を大きく印刷するものを使用している。ズームテックという大きな活字で表示できる装置を使ってコンピュータも使い、Eメールやインターネットも使っている。 パーキンス盲学校で働く前は、13年間病院で血液の検査体を運搬する仕事をしていた。現在はパーキンス盲学校のスポークスマンとしていろいろな組織などで自分の体験談を話している。先月も目・耳の不自由な人のために活動をしているデフブラインドコンタクトセンターで、大統領選挙の投票方法について研修会を行った。また、コミュニティアクセスネットワークという健常者で障害者に対してサービスを提供する組織があるが、この訓練の際にも協力している。 また、通訳者であるスーザンが製作した目が見えず、耳も聞こえない世界がどのようなものであるかいう映画に出たこともある。 主な質疑の内容 Q ニューヨークからパーキンス盲学校に入学した理由は何か。 A 先生と生徒が1対1で、きめ細かく指導してくれるため選んだ。 Q デフブラインドの方は多くいるのか。 A 正確な数は分からないが沢山いる。私の通訳者のスーザンの兄弟もデフブラインドである。 Q ジェイミーさんは、スーザンさんの顔がかすかながら見えるのか。 A かすかに見えるため、若干の口の動きで分かる。 Q 行政に対して望むことは何か。 A デフブラインドはパートタイマーでしかないため正職員として採用してもらい、職の確保をしてもらいたい。 6 ベルビュー病院 説明者:メリー・トンプソン氏(安全管理責任者) ロバート・ヘスラー氏(医師(緊急医療部門責任者)) シェリー・メイソン氏(安全管理補佐官) ジェイムス・サンダーズ氏(広報部長) (1)病院の概要 ベルビュー病院は、ニューヨーク大学附属病院であり、また1736年に開業したニューヨーク市で一番古い公立病院でもある。現在は、近代的フルサービスの設備を持っている病院として、外来から入院患者まで広範囲な医療、精神医療、ソーシャルサービスを行っている。 また、ニューヨークを訪問する際のアメリカ大統領や、国連の外交官・職員等が利用する病院としても有名である。 (2)2001.9.11事件 9.11事件の際は、ダウンタウンにある病院に大量の患者が搬送され、当病院にはそれほど多くの患者は搬送されなかった。当初、緊急医療サービスでは遠い病院までも搬送する計画があったが、あまりにも大きな災害であったため近くの病院に搬送していた。しかし、現在の計画では、多くの患者が発生した時にどのように分配していくか、どのようにして市内の病院の状態を知るかということが計画されている。 また、最初は被害者を全部受け入れていて、緊急医療室の中はごみや埃でいっぱいになってしまった。今後、このような災害が起きた場合には、すべてのドアを閉め、自己防衛のためにも中に入れる際はすべての毒物を取り除いて、安全であると分かってからにする。現在は、建物前にシャワー室を設け事前に消毒を行ってから入室させるようにしている。 事件以前は、他の病院の緊急医療体制を詳しく知らず、また、各病院の指令センターの責任者が誰であるかを知らなかった。ニューヨーク市内の全病院で組織する委員会があり、病院間でのコミュニケーションを図ることを進めている。当病院ではへスラー医師が委員として参加し、緊急医療・緊急体制における医療に関する指示を中心に活躍している。一病院だけで計画を作るのではなく、他の病院との連携の作業を念頭に計画を作ることが重要であると考えている。他の病院はライバルでもあるが、事件以降は連携し、コミュニケーションを図っている。例えば不足している医療器具も融通し合い、スタッフを送ることもあり、もちろん、患者についても同様で他の病院に転院させることもある。 その他の問題としては、事件の際にトンネルも橋も通れなくなり病院のスタッフが通勤できなかったことであり、勤務できる職員が少なく、どれだけの時間働けるかも問題であった。 (3)2003.8.14ニューヨーク大停電 2003年の大停電の際には、病院のエレベーターが2基しか使えず、入院患者の食事が大変であった。まず運ぶ際に荷物用エレベーターが使えず、人用のエレベーターを使おうとしたが夕方のラッシュ時で使えず、21階まで職員が階段でバケツリレーの要領で運んだ。 また、電話も不通で携帯電話も使えない状況で、トランシーバーのみが使用可能であった。しかし、バッテリーの容量の問題もあるため、常に予備的に用意する必要性をこの時感じた。病院の発電機も使用量オーバーによって使えなくなってしまい、病院内が真っ暗になった。ICU(集中治療室)の患者を治療する際の電気はバッテリーで賄っていたが、これも使えなくなり、非常事態になった。 看護婦なども1日16時間勤務が続く状態で職員もかなりの疲労が蓄積していた。この時の教訓で、職員の宿泊場所・食事の確保・供給や看護ステーションでも懐中電灯が必要であり、緊急のために日常でも用意するよう努力し、機種も改善した。しかし、良かった点はこのような問題が起きた時にはチームの結束が強くなる。 (4)災害時等における問題点と改善策 災害時には、病院内で連絡が取れなくなるとかの二次災害の問題が起こる。どれだけ計画・練習しても、各人が自発的に考えることが必要である。このような大きな地域的な災害が起きた場合、市の他の機関と連携して問題を解決しようとする。9.11事件以前から、警察・消防などと連携して、もともとは軍が使っていた災害時指令システムを使っていた。これは、各局の責任者が、どのようなことが起こったかを指令センターに報告しコミュニケーションを図るシステムであり、インターネットも使い、州の機関とも話し合いを行う。 指令センターでは1人が全体の監視をしており、その下に何人かの人が働いている。また、各部門のリーダーたちは、経験がなくともマニュアルのとおり進め、問題があった場合には、各部門内で対処方法が伝達される。例えば、医療関係の備蓄や薬品がどの程度ストックされているとか、各部門の状況が中央指令センターに伝わり、全体の対処方法を決定する。 指令センターは緊急医療部門のすぐ脇にあり、責任者であるヘスラー医師がすぐ指示を受けられる。指令センターとの連絡方法は、電話・携帯電話や、インターネット、トランシーバーなどいろいろな方法で行う。 しかし、大停電の際にはあらゆる通信機器が使えない状況になった。トランシーバーと携帯電話の両方の機能がついた電話さえ使えない状況であったが、反対に古い1960年代の電池式のトランシーバーが使用できた。通信システムは非常に重要な部分であり、必ずバックアップを用意し、何重もの予備が必要であることと、何度も何度も繰り返して訓練が必要である。 停電時においては、自家発電機が作動するが、全体の30%程度しか供給することができないため、一部分しか電気が使用することができず電気も暗く、エアコンは効かない。また、バックアップのバッテリーは1時間程度しか使用できないということを当初に考えて計画を立てることが必要である。 また、換気装置が壊れた場合には患者は息ができない状況にもなる。たくさんの患者の対応に忙しく、職員も疲労困ぱいで多くの職員が必要である。大停電の際には病院内の電気がすべて消えたが、緊急治療室だけは別棟で電気系統も違うため、電気が使えたため、本館の呼吸器系の患者を別棟に移した。この際に感じたことは、一次発電機だけでなく、二次発電も備えておく必要と、懐中電灯なども常備する必要であった。 私たちのスタッフに常に言っていることは、着替えやクラッカーなどの簡単な食べ物や必要な薬なども用意しておく必要があると指示している。一番難しいのは、このような災害が続いた場合、職員の確保であり、職員は家族のことが心配であり医師も看護士も家にいたいのが本心である。そのようなことも考えて他の病院などとも連絡を密にして、どのようなに対処していくかを話し合っている。 主な質疑の内容 Q 9.11事件時に、どのような受入体制と管理体制で患者を受け入れたのか。 A この事件前までは、予想していた災害とはビルの崩壊とか爆発や、あるいはバスの事故などであったが、テロリストによる飛行機でのビルへの激突であのような大きな災害が起こるとは考えてもいなかった。 また、これまでサリンガスや炭素菌の被害者が病院に来るとは考えていなかったが、すべての患者を受け入れられるよう緊急医療室では体制を整えた。このような災害を受けた患者が病院に入る前に、患者を消毒してから受け入れる必要が出てきた。 また、この病院では、多くの国から患者が来るため(使われる言語は60カ国語位)、コミュニケーションをうまく取れる人間が必要となる。 9.11事件では家族が亡くなられた人の精神的なケアも行っていた。それは当病院の診療内容の約40%が精神科に関するものであり、災害時に当病院に来て怪我や病気ではなく恐怖心からくる精神治療で、多く訪れている。当病院は緊急医療と精神医療が大きなポイントを持っている病院でもあり、心臓手術についてもかなりの権威でもある9.11事件の際には、被害を受けた家族がこの病院に運び込まれたのでないかと探し回っている人が多くいた。どのような患者が運び込まれたかというネームリストを作成し、各病院同士で確認することが必要となり、インフォメーションセンターを設置し、各病院が収容している患者のリストを一般の人に情報を与えた。 Q 災害のための準備には非常に経費が掛かるとのことであるが、どのような点に経費が必要となるのか。 A 病院内に搬送する前の患者の消毒という面で、60万ドルかけて簡易シャワーの設置をしたが、これは市の経費で行った。災害時には政府から医療品や薬などに対して援助を受けることができる。医療品の貯蔵所はあるが、使用期限があるため、多量の品をストックしておくことは難しい。 Q 中央指令センターの責任者はスタッフの内から専属でいるのか。また、一般職員か医師か。 A 私(メリー・トンプソン氏:安全管理責任者)がその内の1人であり、災害時の指令官であり、下で働く職員は事務関係の職員である。 Q 災害時の訓練は、中央指令センターで行っているのか。 A 指令センターでは、オペレーションだけで訓練は行っていない。訓練は、オリエンテーションなどを繰り返し行い、その中で行っている。災害が起きた時に、指令センターが何を行っているのか、自分の役割は何なのか、指令を受ける担当箇所は何かを理解することである。ビデオを見せたり、マニュアルを配布するだけでなく、実際に訓練をすることで習得させていく。訓練は年間4〜6回全体訓練を行っている。テーブルトップドリルと呼ぶ会議の中で、災害時を想定して話し合いを行い、確認している。 また、例えば、病院の脇に化学工場があるとどのような問題があるかというような、部分部分での弱点を調査し、それに対する対処方法を考える。 この病院には4,000人の職員が働いており、この訓練を実施するためには勤務しながら訓練を受けることとなり、経費も掛かる。災害時に各部門から入ってくる情報をもとに指示するため、各自が何をするか分かっていることが前提である。 Q ニューヨーク市内の全病院で組織する委員会の話があったが、この委員会を調整するところはあるのか。あるとすれば、どこが行っているのか。 A バイオテロリズムの対象センターというものがあり、そこが各病院との調整をしている。毎週1回各病院の幹部が集り会議をし、お互いを知ることができるし、もし問題が起きた時に誰に話をすればいいか分かるからであり、仕事の連携もできる。 また、運営する経費は連邦政府から資金が出ており、本部は、当ベルビュー病院内に設置されていて、政府からの資金で運営している。 現在、アメリカではすべての病院間で助け合う体制を考え、実行に移していて、ニューヨーク市内だけでなく、他の州の病院とも連携をしている。 7 ニューヨーク市消防局 説明者:ニコラス・スコぺティータ氏(消防総監) サルバトーレ・J・カーサノー氏(消防業務部長) ジョン・J・ペルジーア氏(救急医療サービス部長) 他消防局幹部 (1)ニューヨーク市消防局の概要 消防局には、約16,000人の職員が働いています。その内、11,500人が消防士あるいは事務員であり、また、2,500人がEMS(救急関係)に従事している。 1年間に約40万件程度の電話があり、EMSのメディカルサービスは110万件の電話が入る。いろいろな事件が起きており、火災以外の災害・事故などが含まれる。例えばガス漏れや、ビルが倒れてきたとか、工事現場の足場の崩壊等いろいろな電話が入る。 次に、消防局の各セクションの役割分担を説明すると、はじめに指令を発するビユーローオブオペレーションであるが、ここは何をやるか、各人が何を行うのかを決定するところで、その中に消防士と緊急医療士がいる。 また、救命サービスをやっている部門、危険物対処、海上消防、ビユーローオブトレーニングという訓練をする部門などがあり、火災予防を目的とする部門では、市長部局の建築物に関する課と協力して仕事をしている。 その他にも、火災調査の部門や消防器具などをサポートする部門、通信連絡を行う部門がある。そして、ニューヨーク市は5つの行政区があるため、この各区にコミュニケーションセンターを設置している。 (2)9.11事件時の問題点及びその後の対応 ニューヨーク市消防局では過去にもいろいろな問題があったが、その中でも大きな問題であったのが9.11事件であり、この事件で343人の消防士が亡くなった。また、医療関係の部分でも事件後、希望退職者が多かったため、ここ3年間で一生懸命職員の採用を行っている。 事件以降、3千人位の非常に若い人たちが消防士に採用され、消防局で働いている。職員の半数近くが経験年数6年程度の職員であるため、訓練が非常に大切になっている。現在、この訓練によって事件以前のような力を取り戻しつつある。また、ダメージを受けた器具等も9千2百万ドルの経費をかけ全部交換した。 訓練内容も昔とは全然違う形の訓練をしており、基本訓練以外にもテロリストに関する研修や、誰が危険物を処理するかという訓練もしている。また、ウエストポイントにある連邦政府の陸軍士官学校などと協定を結び、テロリズム対抗センターという機関から講師を招いて訓練もしている。海軍の海兵隊とも協定を結び同様に訓練をしている。 主な質疑の内容 Q テロの緊急時にはどのような対策をしているのか。 A 9.11事件以降からお互いの連絡を取り合うコミュニケーションシステムに関しては、特に力を入れている。特に、新しいラジオシステム(無線機)を取り入れた。 それは、前の無線機の場合、高い建物に中継局を設置し、電波が弱い場合に電波を補強して他の場所に送るリピーターシステムというものが入っていた。しかし、一番高いビルが壊れた場合に全てがだめになった。 このため変更したシステムは、小型のリピーターシステムでビルに設置するのではなく車に積み、無線機自体ももっと強力にした。これにより、ビルに頼る必要がなくなり、もし事件があれば、自分たちでシステムを持っていくことができるようになった。 また、コンサルタントを雇い、どのような器具が良いかとアドバイスを受け、無線機自体のしくみとか、地下鉄の中にもこのシステムを設置するとかの方法もとっている。 Q 阪神・淡路大震災の際に自主防災組織という町内ごとのボランティア組織で、消防局だけでは賄えない部分を民間人がサポートするという組織があったが、ニューヨーク市でもこのようなボランティア組織はあるか。 A ミルチアルエイドというお互いに助け合う総合扶助の組織があり、違う管轄区同士がお互いに助け合って、災害に対処しようという組織である。 また、郊外の都市では消防士が少ないということもあり、現地の人たちがボランティアで仕事をするところもある。サンフランシスコ大地震の後から、一般の緊急対策をするチームが組織され、市内で団体を作り、災害に対して協力してくれる。また、参加者は消防士を退職した人ではなく、民間人であり無報酬のボランティアである。 Q 消防における救急救命の医療行為は、日本では難しい点があるが、医療分野のどこまで行えるのか。 A 第一治療(ファーストリスポンスレベル)と医療治療(メディカルテクニシャンレベル)とは明確に分けている。また、本当の治療(パラメディック)を含めて3段階の対応の仕方がある。 火事の際に、消防車とともにEMSの普通の救急車が同行するが、重症等の場合であればパラメディック(本当の治療ができる救急車)が行くことになる。日本では同じ場所に消防車と救急車がいるが、ニューヨークでは消防車と救急車は別の組織に属しているため、通報があった際には別々に現場へ向かう。 Q 現場から病院への搬送時間はどの位の時間が掛かるのか。また、ニューヨークの交通事情が障害にならな いか。 A 平均11分程度である。また、最短では6分40秒であり、現場で治療し病院まで行く必要がない場合もある。交通混雑は東京と同じようなもので、別々の場所から消防・救急が出動するにしても、いち早く現場に到着するよう努力している。また、遠隔操作による医師からの指示によって情報を提供し、治療を行っている。 Q 緊急電話で消防や救急の連絡があった場合、電話番号・住所等の表示があり分かるのか。また携帯電話の場合はどうか。 A 日本と同様のシステムである。携帯電話については表示がないが、今後システムを作ろうとしている。 Q ニューヨーク市にはかなりの高層ビルがあるが、どの位の長さの梯子車があるのか。また、消防局所有のヘリコプターはあるのか。 A 100フィート(33m)の梯子車がある。消防局所有のヘリコプターはないが、警察所有のものがあり、大きなイベントや災害の時などに幹部職員が警察のヘリコプターに乗り、空から指示を出す。 ※ニコラス消防総監からの千葉市側への質問 千葉市には消防局所有のヘリコプターがあるのか。また、所有しているとすればどのように使用しているのか。 ※千葉市側の回答 2機所有しており、使用目的は例えば今回の新潟県中越地震の際、救援活動に出動し、救急隊員も派遣した。その他、災害現場を上空から撮影し調査・指示などにも使っている。 Q 新宿の雑居ビルで、いろいろな荷物で階段等が塞がれ火災の際に多く被災者が出た事件があったが、ニューヨーク市消防局ではビルなどに対しどのような指導をしているのか。 A ファイアーインスペクターと呼ばれる調査官がおり、各店舗を一つ一つチェックしている。町が賑わう12月になると調査官を増員して調査を徹底している。各消防署の近くにある店舗や住宅について毎日といっていい程調査しており、違反するような事例があった場合には反則切符を切り、罰金を科している。 Q ドクターカーはあるのか。また、事故の際などに出動させているか。 A あくまでも事故現場に出動するのは、救急車のみであり、指令センターの方から電子機器を使って医師の指示によって救急活動をする。 Q 日本では医療行為の関係でなかなか気管挿入が認められなかったが、ニューヨーク市では救急救命の際に気管挿入は行っているのか。 A もし喉に物が詰まった場合は、除去作業をする。また、取れない場合には間接手術をして喉を開けて除去する。 Q 切開手術をするには、かなり高度の技術が必要となると思うが、どのように職員を育成しているのか。また、対応できる職員はどの位いるのか。 A パラメディクが出動する場合はほとんど医師なしで処置ができる。訓練は、消防局の緊急医療士養成学校で2,000時間行っている。この学校では、解剖学や生理学などの勉強も含まれ、それ以外にも所内や実際の実地訓練なども含まれている。 また、施術できる人数は550人ほどである。 Q 最高レベルの技術を持っている救急救命士は、各救急部隊に何人位配置されているのか。 A 部隊は30部隊あるが、この他にもすぐ出動できるように道路に待機している救急車がある。各部隊には10台程度の救急車が配置されており、救急車には2人乗車しているので、20人程度の配置となる。また、一番忙しい時には、フル出動している。 会 派 等 報 告 海 外 行 政 視 察 に 参 加 し て 自由民主党千葉市議会議員団 向 後 一 夫 石 橋 毅 米 持 克 彦 森 茂 樹 三 須 和 夫 小 川 智 之 今回の千葉市議会海外行政視察団は、2年振りに執り行われ、姉妹友好都市提携35周年を記念した交流事業の一環としてのノースバンクーバー市への表敬訪問を含め、11月1日から12日の日程で、2カ国5都市を訪問し、IT施策、環境行政、福祉行政、緊急医療施策等について学んできた。 そこで、その概要について報告したい。 1 ノースバンクーバー市 ノースバンクーバー市には、11月1日〜3日まで滞在し、市役所への表敬訪問、記念式典、歓迎レセプションを行ったわけだが、それ以外にも、いくつか市内視察を行なった。その市内視察のうち、最も印象に残っているJohn Braithwaite Community Centreについて報告したい。 この施設は、2004年8月にオープンしたばかりで、地下1階地上2階がコミュニティセンターになっており、3階以上は分譲住宅となっている官民共同型の施設である。コミュニティセンターの建設費はノースバンクーバー市が負担し、運営費は、市と隣町のノースバンクーバーディストリクトと共同で負担している。 元々このセンターの周りの区画を市が持っており、その土地をDeveloper(民間開発業者)に売却し、そのDeveloperが開発・建築し、コミュニティセンター部分を市が$6.70Million(約6億円)で買い取り、住宅部分は業者で分譲するといった方式を採っている。 施設内容については、1階部分が、高齢者向けのミーティングルームやホール、乳幼児向けの部屋、Teens向けの部屋、スタジオがあり、地下部分はフィットネスクラブになっており、月〜木は6〜22時、金曜は6〜19時、土・日は9〜17時の営業となっている。利用料は、1回に付き$5、年間パスは$300となっており、近くにあるスイミングプールでも使えるとのことである。金額的にはかなりリーズナブルで、利用者も多いことも頷ける。 2階部分は、多目的ホール、コミュニティオフィス、アートホールなどとなっており、日本のコミュニティセンターとそれほど変わらない施設内容となっている。しかし、運営組織が変わっており、7人の委員で構成されるコミュニティボード(委員会)で運営され、35人のスタッフはそのボードによって雇われているということである。ただし、マネージャーのリチャード・ガントレット氏だけが市職員となっている。 また、建設についても、地域住民が参加し、いろいろな意見を出し合って造った施設だと伺っており、まさに市民参加型で、コミュニティセンターというのに相応しい施設であると感じた。今後、本市の各区にあるコミュニティセンターについても、もっと市民参加を奨めるべきだと改めて感じた次第である。 2 サンタモニカ市 サンタモニカ市は、アメリカ西海岸ロサンジェルスから西へ25kmに位置し、美しいビーチと公園、ホテルやショッピングセンターが連なる人口約9万人の観光都市である。 今回の視察では、市役所において、市の概要及び議会の運営方法、IT施策を学び、さらに都市再開発の成功例として有名な3rd Streetを視察した。その中で、IT施策「PEN(Public Electronic Network)System」について報告したい。 PENは、アメリカで初めて地方自治体がパソコン通信を使ったネットワークを市民に提供した例として有名である。1989年に導入され、当時はインターネットが開発されていなかったため、ローカルなeメールシステムを活用した。その2年後には、様々な申請をメールで受け付けるようになった。日本でもまだ完全に導入されていない電子申請を今から13年前に導入していたことは、非常に先見の明があると感心させられた。 そして、1990年に入り、インターネットが開発されると、このPENSystemはローカルなものから、ワールドワイドになり、市民もより簡単に効率的に市役所と交信し、より早く、より多くの情報を求めるようになった。 例えば、これまで道路工事を行っていても、市民にとっては何のための工事かわからず、不満を抱えていたが、ウェブサイトで公表することによって、市民の理解が得られ、行政運営がスムーズに行くようになった。 このようにこれまで行政というものは裏に隠れていたが、インターネットの出現によって市民の前面に出てくるようになった。 しかし、この便利なシステムにもいくつかの問題点がある。一つには費用に対する効果を測定するのが難しいということである。サンタモニカ市では、アクセス解析により客観的な分析をするとともに、アンケート調査で、情報の入手経路を調べたり、市民の満足度調査をしている。 また、どこまでウェブで公開していいのかという議論がある。サンタモニカ市では、かつて全世界に観光PRをするため、桟橋にウェブカメラを設置していたが、ある企業がそのカメラを利用し、ビキニの広告を配信したため、市民から行政として不適切な画像だという批判が噴出し、カメラを外した経緯があったり、ある開発に関わる委員会において、それに反対する住民の住所と氏名を聞いたところ、その議事録がそのままウェブ上に掲載されるため、グーグルでの検索でその人の名前を検索すると住所まで判ってしまうと事態が起きたりした。基本的には行政の情報は公開する方針だが、公開してはいけない情報もあるので、今後も議論を深めていかねばならない。 さらにGISといったシステムは、誰がその土地を所有しているか、また衛星から撮った写真は、庭に何が置いてあるかまで判ってしまうので、精度を低くして載せているが、個人情報の取り扱いには細心の注意を払い、情報の入手経路を載せたり、非公開情報を貰う時も機密にする旨の文書を書き添えたりしている。 いずれにせよ、このテクノロジーの進歩はまさに日進月歩のため、これからも議論を深めていかなければならない。 今回、これらの話を聞いて感じたことは、サンタモニカ市の市民がネットを通して議論に積極的に参加していることである。まだまだ日本では電子市役所化しても市民の参加が限られているのが現状である。市民の情報リテラシーをどうように向上させていくかが今後の課題であると認識させられた。また、それと同時に載せるべき情報の精査についてもう少し議論を深めるべきだとも思った。 3 バーバンク市 バーバンク市は、ロサンジェルスの中心から北西19kmに位置し、面積はサンタモニカより狭いが人口は10万強となっており、かつてはロッキード社の工場があった工業都市であったが、現在は、NBC、ワーナー、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、同アニメーションズの撮影所があり、映像産業が集積する都市となっている。 今回の視察では、リサイクルセンターにおいて市の廃棄物施策の基本方針や運営方法を学び、市役所において市の概況及び議会の運営方法、さらに警察署と消防署の複合施設を見学してきた。その中で、リサイクルセンターの運営方法について報告したい。 このリサイクルセンターは南カリフォルニア最大の規模で、1992年に開設されたが、その10年前の1982年からマテリアルリカバリーセンターという形で廃棄物のリサイクルを始めていた。当時は、細かく分別収集を行っていたが、現在は、黒、青、緑の三種類の箱を用意し、黒は埋め立て行きのリサイクルできないゴミ、青はリサイクルできるゴミ、緑は枝や植物といった自然のものとなっており、コンポストで堆肥化する。この中の青いゴミ箱に入っているゴミだけをこのセンターに持ち込み、そこで仕分けをする。この方が各家庭で分別するより逆に効率が良いとのことである。 センターの建物は市の所有になっているが、運営については官民共同となっており、現在は、ミズーリ州のジェファーソン・スミルフィット社(Jefferson Smirfit Corporation)と10年間の契約をしている。一応第三セクター方式を採用し、市職員は4名で、主に広報担当をし、年間1,500人程度の子供の見学を受け入れている。その他、75名は民間企業の職員で、そのうち35名が選別作業、40名が会計や営業にあたっている。なお、民間企業から$16,200/月の固定費を土地の使用料として貰っている。 回収費用は、各家庭から電気代や水道代と一緒に毎月貰っており、ビジネスゴミは、紙など価値のある資源物が多いので、回収費用も一般家庭より安い$6となっている。 グリーンの箱のゴミは、民間企業に回収、処理し、堆肥化しているが、民間企業に頼りすぎるとお金がかかるため、コンポストを各家庭に配布し、各家庭で堆肥化することにより、委託費の減額とゴミの減量に努めている。粗大ごみについては、週1回回収しているが、直接持ってくれば無料で引き受けている。 運営費については、州からの交付金、各家庭からの回収料、民間企業のゴミの回収権に対し、1トン当たりいくらかで契約する権利金で賄っている。だから、回収量が増えれば、歳入は増えることになる。そして利益が出れば、市民の教育に回すことになっているとのことである。現在は財政状況も非常に良好であるという。 今回の視察で参考になったことは、まず選別後の資源の販路を確保し、儲かる(損しない)ように運営することを心がけていることである。日本では、まだゴミの有料化も、資源物の販路の確保もなされておらず、真の資源循環が行われていないのが現状である。現在、本市においても「ちばルール」の策定を行っているところであるが、今回の視察を大いに参考にしたいと思う。 4 ボストン市 ボストン市は、マサチューセッツ州の州都で、人口60万の港湾都市である。また、ニューイングランド地方最大の都市で、商業・金融・文化の中心地となっており、ボストン茶会事件など、アメリカの独立運動の遺跡や文化施設が多く残っており、古きよきアメリカの匂いを残した街である。 今回の視察では、ヘレンケラーも通った全米初の盲学校として有名なパーキンス盲学校において教育カリキリュラムや実態調査を行い、マサチューセッツ州障害者局では、局の業務とアメリカ障害者法(ADA:Americans with Disabilities Act)の現状について学んできた。そのうち、後者について報告したい。 マサチューセッツ州障害者局は、障害者の人権を守るために1981年に設立され、障害者が建物に差別なく入れるようにする条文を作ったり、州が策定した規制などを遵守させるための委員会をつくったりするような政策を作るといった特徴を有している。 アメリカ障害者法は、障害者の権利を守るため、1990年に制定され、それにより、障害者の就職や教育、交通手段や住宅取得などの機会均等が促進され、バリアフリーの街づくりも進んできた。 アメリカ合衆国は、自由と人権の国といった印象があるが、実際には我が国より人種差別や障害者差別が多く、障害者局という組織をつくり、人権確立をはからなければならないのが実情である。 現在では、ADAの効果があがっているのか、地域にボランティアの委員会が個々の障害別に設置されてきているが、障害者局はその委員会から助言を求められることが多く、助言・指導が主な仕事となっている。また、差別を受けたと感じる人の電話相談を受け、その人たちを擁護するとともに、苦情の相手方と調整を図ることもメインの仕事である。さらに、障害者局全職員の8割が何らかの障害を抱えており、建物におけるバリアフリーの調査など、障害者だからこそチェックできるような仕事をしている。 その他、州には大変厳しい建築規制があり、年に6回ほど、連邦政府や州の規制・法律などを教えるための研修会を行っている。この研修会の参加者は、市職員、建築家、障害者自身となっており、このように一同に会して同じ情報を聞き、理解することが重要であるという。 今回の視察で感じたことは、障害者に対し、保護の対象ではなく、なんとか自立させることを目標しているところである。真のノーマライゼーション社会を構築するためには、このような考えに基づき、意識啓発を図っていかねばならないと思う。 5 ニューヨーク市 最後に訪問した都市はニューヨーク市である。前回の北米視察においてもニューヨーク市を訪問しているが、9・11同時多発テロ事件以前だったため、事件以降のニューヨーク市の様々な施策は大きく変わっているものと推測される。また、我々が視察に出る直前の10月24日に新潟県の中越地方で大地震が起こり、災害時の緊急医療体制について視察を行うことは、誠に時機を得たものであると思われる。今回の視察では、ニューヨーク市で最も古い公立病院であるベルビュー病院と9・11で一躍有名になったニューヨーク市消防局(FDNY)に伺った。視察項目が同じなので、まとめて報告したい。 両施設への視察を通じて感じたことは、9・11以降、非常時に対する考え方が劇的に変わったということである。これまで、ニューヨーク市では大規模災害を想定していなかったため、やはり9・11の時には大きな混乱が生じたそうである。 どのような混乱が生じたかというと、まず、同時に大量に患者が発生したため、現場から一番近い病院に大量の患者が搬送されてしまう事態が起き、また、被害者をそのまま受け入れてしまったため、緊急医療室の中がゴミや埃で一杯になってしまったそうである。 これらの事態に対応するため、ニューヨーク市内の病院で組織する委員会を創設し、他の病院との連携を深め、空き室の状況やスタッフや医療器具の不足を相互に補えるシステムを構築した。また、すぐに患者を搬入せずに、細菌テロにも備えて、建物前にシャワー室を設け、事前に消毒を行ってから搬入させるようにしたという。さらにインフラがパンクしてしまうと勤務できる職員が少なくなるため、職員の確保も重要な問題であると認識し、対応マニュアルを作成したとのことである。 FDNYでは、9・11以降、職員数を増やし、訓練内容も以前と違う形に切り替えたり、新しい通信システムを取り入れたりしたという。 いずれにせよ、非常時に備えて、常に最悪の事態を想定した予備的措置を講じておくことと日々の訓練が大切だというこということがこの視察によって改めて認識させられた次第である。 本市においても、これから災害時の対応マニュアルが作成される予定であるが、常に最悪の事態を想定した内容にしなければ、真の危機管理にはならないと思うので、今回の視察を大いに参考にしていき、本市の危機管理体制確立に役立てたい。 最後に、今回の視察を通して感じたことは、アメリカという国は、ある結論(目標)に向かっていかに効率的に辿りつくかということを常に念頭においており、もし何らかの障害があれば、それを取り除くための民主的なシステムがしっかりと構築されている点で非常に素晴らしいということである。個々の施策では日本やヨーロッパ諸国の方が優れていることが多いが、殊にマネージメントに関しては、アメリカのほうが合理的であることが多い。まさに自由民主主義の国であると感じた。本市の行政運営においても、アメリカ的な効果的かつ合理的な運営を目指していきたいと思う。 海 外 行 政 視 察 に 参 加 し て 千葉市議会公明党 内 藤 靖 夫 上村井 真知子 今回の千葉市議会海外行政視察は、11月1日から12日間の日程で実施され各都市ごとにテーマを定め、視察いたしました。訪問都市ごとに報告すべきではありますが、視察テーマが多岐にわたることから、印象深かったことについて報告いたします。 1 ノースバンクーバー市表敬訪問 成田空港から一路バンクーバー空港に降り立ちました。到着時にはノースバンクーバー市職員のトップであるトルスタム行政官自らが出迎えていただき、バンクーバー市内や自然豊かなキャピラノ峡谷などを案内していただきました。この視察初日だけは雨模様の天気でしたが、この後は天候に恵まれた視察でした。 翌日の2日目は本市と姉妹都市であるノースバンクーバー市を表敬訪問しましたが、この際にもバーバラ・シャープ市長を始め、各議員及び市幹部の方々から丁重な歓迎を受けました。また、夜には市内のレストランにおいて歓迎夕食会を催していただき、議員・市幹部・市民ボランティアの皆さんと両市の問題や議会制度、そして2010年に当地で開催される冬季オリンピックの準備状況などについて、いろいろと楽しく語らうことができました。 また、話の中でノースバンクーバー市の議員、職員、市民の方々も千葉市と姉妹都市関係であるということに誇りと喜びを感じていることが強く印象に残りました。 2 アメリカ障害者法とその実情 今回の視察において、ADA(アメリカ障害者法)を事前研修会で講義いただき、予備知識をもってアメリカの実情をマサチューセッツ州で調査することとなりました。 このマサチューセッツ州の州都であるボストンは、ヨーロッパから渡ってきた初期の移民の町であり、アメリカ独立の舞台となった歴史的な町であるため、ほかのアメリカの都市とは違いヨーロッパの町並みを感じました。しかし、古い町並みのほかに高層ビルもあり、現代と中世が混在している都市でありました。 また、芸術面でも日本人の小沢征爾氏が指揮をしていた「ボストン交響楽団」や、アメリカの3大美術館の一つである「ボストン美術館」などがあり、日本でも有名なハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のほか、ボストン周辺には60近くの大学があり、古都、芸術、学問の町という3つの顔がある都市でした。 (1)パーキンス盲学校 はじめにボストン近郊のウォータータウンにあるヘレン・ケラーも卒業したパーキンス盲学校を訪れ、視覚障害者の教育方法等について擬似体験などを交えて伺うことができました。指導方法は日本とほぼ同様であると思われましたが、この学校では視覚障害及び他の障害を併せ持つ生徒を対象としており、教師と生徒が1対1でのきめ細かな指導を行っているとのことでした。当事者にとっても、また親にとっても安心して教育を受けられることが必要であると感じました。 また、同校を卒業したデフブラインド(視覚・聴覚障害者)で、現在は同校のスポークスマンとして働いているジェイミー・ラークスさんから同校での経験談や、現在の生活状況、あるいは現状における問題点などを伺うことができました。 話の中で、事前研修で概略を伺った障害者法で規定している電話リレーサービスについて、実際使っている方の話を聞きイメージしていたこととの違いなどが分かり、日本においても、障害者が身近にこのようなサービスが受けられるような体制が整えられることが早期に必要であるとともに、普及させて行きたいと思いました。 (2)マサチューセッツ州障害者局 次に訪れたのはマサチューセッツ州障害者局でしたが、同局は州内に住む障害者の人権を守るために設置されたとのことで、州内の建築物に障害者が入ることができるよう規定を整備したり、相談に応じ助言・指導や支援に努めているとのことでした。 説明をしていただいたマイラ・バーロフ局長は女性の方で、視察団の受け入れの際にはクッキーと紅茶をご用意いただき、きめ細かで親切な対応をいただきました。また、局内のスタッフも女性や障害者も多くいて、バリアフリーに関する調査員の方も車いすで現場調査をしているとのことでありました。障害者に対する差別を無くすことが使命であると伺い、局全体で障害者の支援に努めている姿勢が強く伝わってきました。 説明をいただいた中で特に印象に残ったことは、州政府が年間6回にわたって州内の建築主や市町村職員、そして障害者に対して研修会を開催して、障害者法などを理解させることに努めていることでした。これは、マサチューセッツ州における人権闘争の歴史の流れの中で、障害者への取り組みも人権問題への取り組みであると感じました。 また、障害者の雇用対策や相談業務を州が行っていて、双方の仲介もし、細かなことについても州が実際に行っていることについて日本との違いを感じましたが、同局職員の8割が障害者であることが、身近にそして親身になり支援できる体制となっているのではないかと思いました。 3 ニューヨークにおける緊急医療・救急救命体制 視察の最終地でありますニューヨーク市では、はじめにベルビュー病院を訪れ、2003年8月のニューヨーク市大停電時の話などを伺いました。この大停電時の話の中で特に印象に残ったことは、情報伝達手段としての電話回線の切断や、機能停止、そして携帯電話さえ使えなくなったため、このような状況の際にトランシーバーが以外にも効果があったこと。また、災害時において自家発電などの非常用電源が長時間使用できないた め、これらを想定した訓練が必要であり、病院間の協力体制の確立も必要であることでした。 また、同病院においてはニューヨークのダウンタウンに位置するという土地柄でもあるためか、多種多様な民族が集ってくるため、病院内でいろいろな言葉が飛び交っているとのことと、患者が絶え間なく病院に入って様を見ていると、まるで駅のようであり、職員も4,000人いるとのことに納得いたしました。 次に、ニューヨーク市消防局に向かい9.11テロによる大災害について、普段は中々対応していただけないと聞いていました消防局幹部から直接当事の話を伺うことができ、事件後の救急医療・救急搬送体制について伺うことができました。しかし、9.11事件の際に343人の職員が犠牲となり、その後精神的なダメージを受けた職員が多く退職者が相次いだとのことを伺い、精神的ケアの重要さを再認識いたしました。 消防局の職員は、千葉市職員の約2倍に当たる16,000人とのことに驚きを感ずるとともに、救急体制については、約300台の救急車が常時市内で稼動しているとのことで、改めて人口800万人の大都市であると実感しました。 また、救急車は到着次第、高レベルの初期治療を行い素早い救急救命に努めていて、局内には救急医療士養成学校もあり2,000時間の授業を受けて、現在550人程度の緊急医療士がいるとのことについても、驚きであった。日本においては医療行為の関係もあって、救急救命時において初期治療が進んでいない状況を考えると、ニューヨーク市のような早期治療のできる体制の整備を望むものであります。 このように、今回の海外視察ではアメリカにおける障害者支援や喫緊の課題でもある災害時における緊急医療・救急救命体制について、状況をつぶさに調査させていただき、各セクションの責任者から、実態や対応策などについて学ぶことができ、今後の議員活動の参考となる点がいくつもありました。 お わ り に 副団長 内 藤 靖 夫 今年度のカナダ・アメリカへの海外行政視察には、視察団として視察都市及び視察テーマを協議し、始めに姉妹都市提携35年のカナダ・ノースバンクーバー市を表敬訪問し、アメリカ合衆国においては、サンタモニカ市で情報システム、バーバンク市では廃棄物リサイクルを、ボストン市(マサチューセッツ州政府)においてはアメリカ障害者法とその実情、ニューヨーク市では緊急医療体制等の先進的な医療制度を選定・実施することが決定されました。 そこで、独立行政法人高齢者障害者雇用支援機構の指田 忠司 氏から、アメリカ障害者法などの事前研修を行い、11月1日からカナダ・アメリカへの12日間にわたる海外行政視察を行いました。 出発当日は午後5時30分に成田空港を出発し、同日の午前9時00分(時差:17時間のため)にカナダ・バンクーバーに到着しました。到着後、ノースバンクーバー市に向かい視察を行い、カナダの自然にも触れました。翌日ノースバンクーバー市を表敬訪問し、夜の歓迎夕食会では視察団一同面識のあるノースバンクーバー市の議員等と千葉市に訪問された時の話や、市の抱える問題などを含め意見交換及び歓談いたしました。各テーブルとも活発な交流が図られ、今後とも両市の良好な関係が続くであろうことを実感しました。 カナダからアメリカに移動し、サンタモニカ市では世界でもいち早く取り入れた行政オンラインサービスによる住民サービス(情報システム)について、視察をしました。この際に感じたことは、風通しの良い行政を行うには良い点も多いが、反面個人情報に伴う諸問題にも留意して進めることが必要であると再認識しました。 バーバンク市においては、リサイクルセンターの現地視察を含め廃棄物・資源再利用についてアメリカの諸事情を伺い、家庭から出るごみ質が違い紙等の包装類が大半を占め、生ごみについては各家庭でのディスポーザーの普及で少なく、反対に下水道における処理に負荷が掛かるのではないかと感じました。 次に訪れたボストン市は、ケリー候補の地元ということでしたが大統領選挙後で比較的街は静かでありました。ここでは、アメリカの障害者法と実情についてマサチューセッツ州政府の障害者局で実情などについて伺うことができ、アメリカの多民族国家としての人種差別問題と同様の問題として、障害者対策などがあるのではないかと感じました。また、ボストン近郊のアメリカ初の盲学校であるパーキンス盲学校を訪れ、視覚障害者の教育方法などを伺い、200年前から視覚障害者に対する教育を行っていたとのことに驚きを感ずるとともに、最近のコンピュータ利用での健常者との通信方法や電話サービスなども伺い、今後の参考となりました。 今回の海外視察出発前の10月23日に新潟県中越地震が発生し、多くの死傷者を出す大災害がありました。このような喫緊の課題でもある緊急医療・消防体制について、ニューヨーク市の状況を視察させていただき、その中でベルビュー病院及び消防局の総監を始めとする幹部の皆さんから9.11テロ、及び2003年8月のニューヨーク市大停電の2つを通して、災害情報体制や救急医療・救急搬送体制等について学ぶことができ、今後の大規模災害発生時における参考となる点がいくつもありました。 以上のように、身を持って各都市の先進事例を学ぶことができ、また、実際に責任ある担当者の方々から説明を聞き、質疑応答にも対応いただく機会を得て、視察団員一同今後の千葉市政に反映しようとする気持ちで一杯であると思います。 終わりに、ハードなスケジュールにもかかわらず、ご支援、ご協力いただいた団員の方及び、今回の視察で快く対応いただきました各都市の皆様方に感謝いたしまして、報告のまとめとさせていただきます。 |
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